このレースで現役引退を公言している大迫のラストランが2021年8月8日午前7時、注目選手としての紹介を経て、号砲と共に始まった。
結果としては6位入賞、メダル獲得とまではいかなかったが、106名中30名ものオリンピアンが危険する過酷な状況やプレッシャーの中、最後まで視聴者に夢を見させてくれた彼の激走は、同じ時を歩むものとして本当に感動させていただいた。
そして改めて振り返ろう。
ウォーミングアップからスタートラインへ立ったこの時、彼はどんな気持ちでこのスタートラインに立っていたのだろうか。
冷静さと情熱、希望と恐怖、最後のレース。混沌とした精神の中の台風の目の様な場所に佇んでいたのではないだろうか。それとも覚悟を決めた彼の心は自然体としてその場に立つことができていたのだろうか。
よく目にするギラギラした目つきとは違う、少し優しそうな目をしていたのが印象的だった。
そして最後の42.195kmが始まった。
最初の5kmは15’22” km/3’04
大所帯で横に広がりつつ皆冷静に足を進める。大迫は群れの中の右外側やや後方、左周りのマラソンにとっては大外になるポジションを取った。
周回コースとなる今回の会場で大外をとるとなると自然に距離は伸びてきてしまうので、私であれば最短の距離で走ることのできる内側にポジション取りをするところだが、彼が選択したのは外側、集団の後方気味だった。
そして、4.6km付近スペシャルドリンクの給水所で帽子を変えていた。
これは彼の戦略の一つだろう。競歩用に開発された帽子内部に氷を入れるポケットがついているものを使用していて、スペシャルドリンクと共に氷の入った新しい帽子に変え、暑さ対策としていた様である。
髪を伸ばしていたのも、この氷が地肌に触れないようにするためだったのではないだろうかと推測する。
5〜10km 15”32’ km/3’06
序盤は淡々とレースは進んでいく。
8km付近まではこのコース最大の登りとなっているためか、若干ペースが落ちたようだ。しかし彼らにそれほどの影響もないだろう。
映像では全ての給水所を確認することはできないが、私が見る限り恐らく全てのポイントで大迫選手は丁寧に帽子は変えていたものと思われる。
大きな集団は形を変えながらその数はあまり減ることなく進んでいく。
この時点で何名かの危険する選手もいた。
いぜん大迫選手は集団の右側後方にポジション取りをしている。
残り32.195km
10〜15km 15’11” km/3’02
8km辺りを過ぎてからは緩やかな下り坂が続いている。
同じ様なテンポで走っているのだろうが、ペース自体は上がっている。
大迫選手は同じ様なポジションで淡々と走っている。
常に集団の後方で後半に脚を残すかのようにひっそりと影をひそめながら淡々と脚を進めている。
15~20km 15’43” km/3’08
この5kmはペースが落ちた。
しかし、徐々に集団は崩れ始めてきた様子。暑さが応えているのだろうか。
まだまだ皆様子を伺う様な形でレースは進められていく。
残り22.195km
20~25km 15’37” km/3’07
この5kmもペースは上がることなく進む。
20km過ぎた辺りから服部選手が集団に着いていけなくなっていった。
ここで落ちていくような選手ではないのだが、やはり調整がうまくいかなかったのだろう。
スタートラインに立った時点で勝負の大半は決まっていると言われるマラソン。いかに身体とメンタル、両方の調整が大切ということか。
この時点でまだ先頭集団は28名
25~30km 15’08” km/3’01
ここから一気にペースが上がった。
第一段階の仕掛けだろうか。
いよいよ本当の勝負が始まったというところだろう。
ここまでは大迫選手も喰らい付いていたといった感じである。
そして、先頭集団の先頭を走っていたブラジルの選手が、フラフラっと倒れ、また起き上がって一度は先頭集団んに追いつくかと思われたが、また倒れ込んでしまうという映像が。
どれほど過酷な状況なのかが見て取れる。本当に危険である。
27kmを過ぎると先頭集団はかなり淘汰され、じわじわと縦長になっていく。
先頭集団といえる人数も12名と絞られ、その最後尾に大迫選手もつけている。
ラストランも残り12.195km
30~35km 15’17” km/3’03
ここからキプチョゲ選手が更に加速をし勝負に出た。
誰もキプチョゲには着いていけない。
30.8km付近徐々に大迫選手が、先頭のキプチョゲそしてその背後を追う第2集団から遅れをとり始めた。現在8番手。
大迫選手もついていきたかったのだと思うが、ついていけなかった現実と、最後まで自分の力を最大限出し切るために自分のペースを維持することを選択したのだと思う。
その選択がやがて順位を上げることとなる。
キプチョゲ選手の独走状態と2位〜7位の第2集団。
追う大迫8番手。
34km過ぎ第2集団も5位までの4人とそこから2人が脱落し始める。
残り7.195km
35~40km 15’40” km/3’08
ラップだけ見るとバテてしまったのがわかる。
35km
トップとの差51秒
第2集団との差24秒
そして36km
ついに6位と7位の選手を一気に抜きさり6位に浮上。
見ている我々もこの状況に夢を見た。このまま第2集団に追いつくのではないか。東京マラソンで日本記録を出した時も後半の追い上げがすごかったあの姿をまた見られるのではないかと。
37km付近大迫選手がチラリと時計をみる。第2集団を意識しているのだろう。
38km付近その差が16秒と縮んでいる。何度もアップされるその横顔は強く前方を見ている苦しそうだが諦めていないその表情と活きた目に彼の生き様を見る。
距離にして約85m。映像で見ているとすぐそこに2位集団がいるように見えていた。
しかし、きっと現実は追っても追っても近くなってこないその背中に悔しさを感じていたのではないだろうか。
諦めない。諦めたくないけど、縮まらない。
幾度となく見てきたこの誰かの背中、心の中で「落ちてこい」と願ったりもしていたのではないだろうか。
レース前にもいっていたように「ガチンコ勝負で勝てるほど楽観視はしていない。トップ選手の誰かが落ちてきた時に、空いた席に滑り込めるようにいかにウエイティングリストの上の方で待っていられるか、、、。」
正にそのような展開に我々は胸を躍らせ、彼もウエイティングリストの最上位で待っている状況だったのだろう。
最後の2.195kmへ
40~Last 7’11” km/3’16
ここから順位が変わることはなかった。
6番目のフィニッシュ。観客や関係者に手を上げて応え、疲労も感はあるがどこかスッキリしたような表情でゴール。
そして彼の長かったような短かったような選手生活は終焉を迎えた。
5月に30歳を迎えたばかりの大迫選手、引退をするにはまだ早いと思う方も、私を含めて多くいることと思う。
実際、このオリンピック男子マラソンに出場していた106名の選手の平均年齢は32.1歳。
最高年齢は44歳、連覇を果たしたキプチョゲ選手も36歳、そして1位〜5位までの選手は皆彼より歳上という状況だ。
年齢だけで見れば3年後のパリオリンピックの時に33歳である彼は、もしかすると今よりさらに油の乗り切った時期の可能性もあり、キプチョゲ選手をはじめとする、年上のランナーが抜けて、それこそ空いた席に滑り込める可能性も含めていると考えると、やはり少し早いと思ってしまうが、小学生の頃から常に貪欲に速さを追い求め、誰も通ったことのない独自の道を行き、プロのマラソンランナーとしての道を切り開いてきたそのストレスや開拓者としての苦労が、時には選手生命を削っていってしまったのかもしれないと感じる。
後輩に背中を見せ、道標を築き、注目されながらも結果を残す。
練習を支えてきてくれた仲間や、大会関係者、ボランティア、そして家族への感謝の気持ちを忘れず、その応援と自分自身のこれまでの努力、全てに応えたラストランは自分の走りに「100点満点」をつけられたことが全てを物語っていることだろう。
この男の生き様に、これまで目にしてきたランナーとは別格の説得力と、その走りに夢を見させてくれたことは言うまでもない。
これからは指導者としてまた新たな道を開拓していってくれることを願う次第である。
本当にたくさんの感動をありがとうございました。
これからの活躍にも期待してしまいます。
おまけ
大迫選手の5km毎のラップです。