私が彼の新書を読み終えてすぐの事だったので、衝撃が走った。
世間のノイズから逃れ、走ることに純粋に向き合い強くなるために渡ったケニア合宿のこと、トレーニング内容や日誌など、揺れる思いを綴った著書の中にも、オリンピック後の先のことを、オリンピックが中止になったとしても、その先を見据えていることが綴られていたため、私はまだまだこの先も彼の走りを見ることができるものだと思っていた。
ところが一転。。。
元々オリンピックの男子マラソンは、北海道の現地に乗り込み直接応援をするつもりで、航空チケットを取り、ホテルを予約して、早めの朝食を取り、余裕を持って午前7時の号砲を待つ。つつもりで、自宅でテレビにかじりついて見ていようと思っていたのだが、かじりつくどころか、テレビを飲み込むように見なくてはならなくなってしまった。
型破りと言われ続けてきた彼らしい選択
そもそも型破りという概念でもなんでもなく、純粋に「強くなりたい」そのためにどうすればよいかという選択を愚直に追い求めていただけで、決して型破りでもなんでもなく、それだけの彼なりの「覚悟」のもと走り続けてきた彼の生きる道がそこにあっただけなのである。
そして今回の決断も。
素直に、愚直に、そしてシンプルに、どうすれば自身の最高のパフォーマンスでこの大会に臨むことができるか、この大会に対する「覚悟」を決めた彼の選択がそれであったということ。
強くなることを極限までシンプルに
例えれば、例えが悪いかもしれないが、尖った鉛筆の先のようなものなのではないだろうか、余計なものを全て削り落とし、芯を尖らせ、その先一点で勝負をしたいと。
少しでも先の丸まった鉛筆では世界最高の選手達にまだ太刀打ちできない、そう考えた時に、全てを捨てることで「さらなる覚悟」を背負うことができたのではないだろうか。
誰も「我が道を行く」彼の生き方、選ぶ道を変えることはできないだろう。
これまで、彼が築き上げてきた陸上界への貢献度は量り知ることができない。東京の町田市から育った彼は東京に留まる事を知らず、強くなる事を追い求め、佐久長聖高校、早稲田大学、日清食品を経て渡米、日本にもブームをもたらしたナイキ・オレゴンプロジェクトと契約、家族との時間を犠牲にしてまで単身ケニア合宿など、これまでの日本人陸上競技界には見受けることのなかった競技者としての生活を、彼は道を切り開き、プロとしては食べていくことが難しい競技種目において、唯一走る事のみで食べていけているランナーなのではなかったのではないでしょうか。
彼の抱えてきた葛藤や悩み、見てきた景色や聞いてきた音、嗅いできた香りや、鼓動、激しく打つ脈、仲間達の息遣いや笑い声、一番多く共に戦ってきた自分の内なる声。そしてこれまで何度も頭を過ってきたであろう『引退』の2文字を決断した時の見上げたその空の色は。
あくまで私の勝手な想像の範疇でしかないが、この決断はネガティブな判断ではなく、オリンピックと言う大舞台に対して人生を賭けてきた集大成であり、最高のパフォーマンスで臨むために足りていない最後の1ピースを見つけそれをはめたのだと思う。これまでの競技生活の全てをぶつけるために。
2021年8月8日 日本時間午前7時
号砲と共に彼にとって、現役選手としての最後の42.195kmの旅が始まる。
これまでの7年間、選手生活としては20年以上に及ぶのであろう。
そんな彼がこの日のためにどれだけの距離を走り、時間を費やし、さまざまな葛藤に打ち勝ち、あらゆるものを捨て、不確実な夢に可能性と己を信じ突き進んできたことだろう。そこに対する思いは計り知れない。
どのような思いでスタートラインに立つのだろうか、やはり開き直ったすっきりした気分なのか、ワクワクしているのか、これまでの競技生活への思いが込み上げてくるのか、武者震いしているのか。
それとも、まるで台風の目にいるかのような、無心のような境地で立てているのであろうか。
そして同日午前9時過ぎ、ゴールラインを超えた時、彼の旅は一度終わりを告げる。
その時彼の目に映る景色は。。。
この時の彼に私はこう告げておきたい。
「おめでとう! お疲れ様でした
そして、たくさんの感動をありがとうございました。
自身とご家族のために少しゆっくり休んでください。」
と。
「彼のInstagramより」
〜6年前の子供と一緒に遊んでいる写真から〜
”「僕を知っている人に多くの説明は必要ないでしょう。僕がどれだけランニングを愛しているか、結果を出したいか、そのために何を犠牲にしてきたか。」
東京オリンピック、そのために僕は走り出し、走り続けてきました。
ただ現在、不幸にも開催が危ぶまれています。
僕らは可哀想ですか?僕はそう思いません。東京に向けてこの7年間全力で走り続けてきた過去の記憶と成長は消えないからです。
マラソン・スポーツは目標を達成することに大きな喜びと価値があります。そしてそれと同じくらい、それ以上にプロセスに価値があると僕は信じています。
この写真を見て、東京オリンピック開催の有無に関わらず、自分に恥ずかしくない努力をしよう、僕は僕の決めたゴールに向けて走り抜けようと誓ったのでした」”
Instagram : https://www.instagram.com/p/CM4YWU1J2Nr/?utm_medium=copy_link
程なくして彼の旅の終わりが始まりを告げる。。。